護身術の家庭教師 出張個人指導

ご自宅で気軽に、護身術が習えます。出張個人指導(プライベートレッスン)です。(複数人数可)

清心不還道(せいしんふげんどう)の武禅(武術)は、本来心身修養や身体技法としての修行法ですが、護身術、美容法、健康法、ダイエット、その他老若男女の運動不足やストレス解消法としても有効です。

清心不還道の名称の由来について

「清心不還」は、「心を清くして還らず」と読みます。「清心」とは、わかりやすく言うと「心を清くするということ」即ち煩悩を断つことを意味し、「不還」とは仏教において、もはや人間界にもどることなく、梵天界以上の階位に上って悟りに至る者のことです。つまり、「清心不還」とは、煩悩を断ち、悟りに至り、死後もうこの世に生まれ変わることがない者という意味です。

故に、清心不還道とは、煩悩を断ち、悟りに至り、死後もうこの世に生まれ変わることがない境地に至るための修行法です。


武禅(武術)とは

禅とは瞑想を意味し、そして禅=瞑想が目指すのは「悟り」を開くことです。悟りとは、自分の内にある仏性に気づき、身も心も一切の執着から離れることです。故に、武禅とは、瞑想としての武術を通して、真実を考える頭のはたらきである智慧の眼を開き、悟りを開くことを目指します。

清心不還道とは

人間の喜びとして最上の究極的なものは、根源的な自由を得て悟りを開く、あるいは解脱することではないでしょうか。

清心不還道(せいしんふげんどう)は、悟りへ至る、あるいは解脱へ至る道の一つであると考えます。

清心不還道(せいしんふげんどう)、即ち坐禅(座って行う瞑想)、立禅(立って行う瞑想)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)は、マインドフルネスをベースとしていますので、上記のような心身修養法や身体技法を長年やり続けることで、マインドフルネスにおける効果のように精神面での不調の改善がありますし、脳機能面では集中力・記憶力の向上や仕事や勉強でのパフォーマンスの質が高まります。ただ、これは短期的には微細な効果、長期的には絶大な効果であるので、短期的な効果自体を目的にすると、その短期的効果が得られない(微細すぎて気がつかない)場合があります。 ですから、そういう短期的効果を期待して修行することはお勧めしません。 清心不還道(せいしんふげんどう)の修行は、基本的にひたすら続けるところに、意義があります。ですから、この修行は、やった方が良いことははっきりしていますが、やらなければならないというわけではありません。やるかやらないかは、個人の自由です。

仏教では禅とは瞑想を意味し、そして禅=瞑想が目指すのは「悟り」を開くことです。悟りとは、「一切の欲と怒りと無知から心を完全に解き放ち、絶対自由の境地に達すること」です。故に、清心不還道とは、瞑想としての坐禅(瞑想)、立禅(站樁)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)を通して、悟りを開くことを目指します。

このように書くと、「なーんだ、宗教じゃないか」と言われる人もいるのではないかと思います。宗教ではありません、というより私はもう宗教で「悟りを開くとか、解脱する」などということは考えてませんし、考えたくもありません。なので、他の方法で「悟りや解脱」の境地に達することを考えました。ただし…

お釈迦様は「真理」、つまり「普遍的で客観的な事実」を発見しました。そこで釈尊は真理に基づき、「このようにすれば幸せになります。どうぞ自分で確かめてください」と語るのです。「私を信じなさい」とは言わないのです。その意味で、仏教は宗教ではありません。どんな人間にも当てはまり、それを自分で確かめられる、証拠に基づいた科学的な教えなのです。(アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ初期仏教長老)

私も仏教は宗教ではないと考えます。清心不還道(せいしんふげんどう)とは、宗教ではない釈尊の教法を基に、瞑想としての坐禅(座って行う瞑想)、立禅(立って行う瞑想)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)を通して、真実を考える頭のはたらきである智慧の眼を開き、悟りを開くことを目指します。また、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」という条件を満たせば、全て禅=瞑想になると言われています。だから、站椿、スワイショウ、武術、英語学習もその条件を満たせば禅=瞑想になると考えます。

因みに、ナイトスタンド・ブディストという言葉をご存知ですか。ナイトスタンドをつけて瞑想をしたり仏教の本を読んだりする、仏教徒だとは自認していない層をそう呼ぶらしいです。ですから、私もナイトスタンド・ブディストであると言えるのではないかと思います。


『坐禅(瞑想)、立禅(站樁)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)で、悟りを開く、あるいは解脱するには?』

現状:

一般的に悟りを開く、あるいは解脱をするという目的に対しての方法としては、座禅や瞑想が挙げられますが、座っている時に、「今、自分は瞑想しているのだ」「意識を集中しなくては」「瞑想の効果が得られるだろうか」等とあれこれ思考してしまいます。つまり、多くの人は、瞑想中に雑念にとらわれてしまい瞑想がうまくゆきません。その結果、瞑想修行の実践自体が中途で挫折するということになります。

問題点:

座って行う瞑想は、瞑想だと最初から分かっていますから、瞑想であることを意識しすぎてしまいます。さらには、わざわざ時間をかけて座るわけですから、瞑想によって様々な効果効用を得ようという欲に、つい囚われてしまします。

原因:

座って行う瞑想は、見た目は簡単に見えますが(ただ座るだけですから)、しかし、実は最も難しい瞑想法なのです。

対策:

これに対して、立禅(站樁)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)であれば「自分は今、瞑想している」と常に意識することはありません。普段の修行は、術(アート)の追求です。ただ、そうして微妙な身体操作で構成されている術(アート)の追求に意識を集中し続けることそのものが、結果的に、瞑想になっているわけです。瞑想としての性質があることを理解しつつ、そのことをあまり意識しないで実践することができます。これが、立禅(站樁)、動禅(スワイショウ)、武禅(武術)が瞑想(禅)として優れている点だと言えます。そして、坐禅を含めて、立禅(站樁)、動禅(気功)、武禅(武術)によって、悟りを開く、あるいは解脱を目指すことになります。
人は、その成長段階に応じて関心の対象が変わってくるものです。

“人は、その成長段階に応じて関心の対象が変わってくるものである。思えば、人に勝ちたいという欲求は、血気が盛んな時代には精進のバネにもなる衝動だが、やがてそのような意識が子供じみたものに思えてくる。興味の対象が次第に変わってきて、不敗とはどういうことか、が、次には自分とは何か、心とは何か、になり、やがて宇宙とは、神とは、なぜ自分はここに居るのだろうか、生まれてきたことの意味は、命とは、死とは、などというようなことが頭を占めるようになってくる。” そして、上記のような人間存在の根本にかかわってくる疑問の、そのことごとくにこたえてくれるものが清心不還道(せいしんふげんどう)の中にあります。(“”内の出典:野中日文 1987「生きる極意」潮文社)


インストラクターの体験談

私が、まだ二十歳前後のことですから、今から45年程前になります。私が友達と二人で人通りの少ない公園にいたときに、今で言うヤンキー風の10代後半の少年たち7、8人に取り囲まれ、カツアゲをされそうになりました。私が友達に向かって「逃げろ!」と叫んだとき、その連中の一人が左手で私の胸ぐらを掴んで右拳で殴ってきました。私はそれをまともに顔面に食らって、頭に来たので、相手の襟と 袖を掴んで、柔道の支え釣り込み足という技で投げ飛ばしました。そうしたら、残りの連中が一斉に私を取り囲んで殴る蹴るという行為に及びました。幸いに連中は凶器を持っていなかったので、私は軽い打撲症だけで済みました。そして、近所のおばさんが「お巡りさん!」と叫んだので、そのヤンキー風の連中はあっという間に逃げ去りました。当時、私は柔道の黒帯でしたので、柔道の技で連中の内の1人を投げることはできましたが、残りの6、7人から暴行を受ける羽目になったわけです。
  
その後、合気道が多人数を相手に対処できる武道であると聞きましたので、もう2度と多人数に囲まれての暴力に遭いたくないのとカツアゲの悔しさを晴らすために、早速、近くの合気道の道場に入門しました。ただ、その道場は開設されたばかりで、まだ道場生は誰もおらず、私が一番最初の弟子となりました。まるでそれは私の入門を待っていたかのようでした。その道場の師範は、昭和6年(1931年)に合気道の開祖である植芝盛平翁の内弟子として入門した人物で、戦前は海軍大学校や憲兵司令部で師範代として指導しており、師範自身も応召後は陸軍の特務機関員として満州で諜報活動や特殊工作に携わっていて、実際に合気道を実戦で使ったとのことを師範自身から聞きました。
 
入門当時、私は自衛官ということもあり、師範は「あなたは自衛官だから実戦的な技を教えましょう」ということで、他の道場生とは別にかなり実戦的な技を教わりました。また、私自身もカツアゲにあった時の悔しさを晴らすかのように、平日は4~5時間、休日は6時間の命懸けの猛稽古を週7日やって、入門後1年9ヶ月で参段を取得しました。 通常、参段を取得するには、週5日道場に通って、6年から7年かかるとのことです。だから、私の場合は、師範の推薦による特例だったようです。因みに、師範は私が参段を取得した3ヶ月後に急逝されました。まるで、私の昇段を見届けるかのように。

師範は「合気道は九分が当身で、あとはおまけです」ということをよく言われていました。また、師範は女性を指導するときは、稽古相手が男性の場合には絶対に手加減するなと指導していました。筋力の男女差というのが歴然としてあるので、普段から女性は男性に対して手加減せずに全力で稽古していないといざという時に役に立たないからです。だから、私が女子道場生の相手をするときは、恐ろし かったです。たとえば、四方投げという技を完全に関節を極められた状態で、手加減せずに全力で技をかけられ投げ倒されると受身が取れず後頭部を畳に打ち、脳震盪を起こすからです。本来、四方投げはそのように出来ている技で、もし畳の上でな く路上で四方投げを手加減せずに全力でかけたならば、人を殺傷することにもなりかねません。
   
 また、師範は軍隊にいた頃、実際に命のやり取りをされ、実戦がどのようなものであるかを知っておられたので、私たちには殺されないための技を親身に教えてくれました。そして、相手が武器を持っている場合は容赦するなとも言っておられました。一瞬の気の緩みが死に繋がるからで す。稽古における太刀取りでは、真剣は使いませんでしたが、金属製の刃引きをした模造刀で太刀取りを稽古しました。ですから、それが頭に当たった時は大怪我をするかまたは最悪死ぬかですし、切先は真剣のように鋭く尖っているので、喉や鳩尾(みぞおち)に刺さったらこれも大怪我をするか死ぬ恐れもあります。また、他の道場ではほとんどやらないと思いますが、銃剣道用の木銃取りも稽古しました。これは実戦の時に、相手が棒のような長い物を武器として持っているときに応用できます。師範が指導する技の特徴として、まず入身(いりみ)で入り、当身(あてみ)を入れて、そのまま入身投げで倒す技が多かったです。当身は、急所に入れば相手は必ず倒れます。たとえ、技をかけるのが女性であってもです。だから、当身の練習の時は、剣道の防具である胴や小手、面をつけて稽古しました。

巷では、合気道は実戦的でなく、実用性が低いと言われているようですが、教える先生によっては非常に実戦的で実用性の高い武道になります。事実、私は合気道を実戦で過去3回程使用し全てに勝利しました。そのうちの二回は、武道武術家相手の手合わせです。
      
 一人は、太極拳家で、対峙した時にすかさず、右足で足裏全体で蹴る蹬脚(とうきゃく)という前蹴りを放ってきました。私は左に入身して、その前蹴りを躱しつつ、左手で相手の右足を掬うようにして上げ崩し、その右足を右肩に乗せたまま同時に右手で下から相手の顎に掌底で当身を入れ、そのまま右手で顎を押し続け顔を仰向けにし、右足を大きく相手の後ろに踏み込み、相手の腰の辺りに左手刀を入れながら、そのまま後ろに投げ倒す「掬い足取り入身投げ」という技でその太極拳家に勝利しました。この時は、体が自然に反応し動いていました。不思議な感覚だったことを覚えています。日頃の師範の指導に感謝しました。

もう一人は銃剣道家で、相手が木銃で胸を突いてきたところを相手の木銃の剣先が私の胸に当たる少し手前のところで、私は右に入身し、右手刀で木銃の銃身の部分を払うようにして、右手刀を自分の左耳のところまで持ってきて、そこから右足が地に着くと同時に右手刀を水平にして相手の喉に当てる「薙ぎ払いの一文字」という技で倒しました。これも師匠の指導のおかげだと感謝しました。

あとの一人は、合気道の技を使ったというより、合気道の理合を使って戦わずして勝ったと言った方が良い例です。ある日の晩、人通りの少ない道を歩いていた時、向こうから30代くらいの男が歩いて来て、ぶつかりそうになったので、それをよけたところ、「なんでよけたんだ!」といちゃもんをつけてきました。その男は少し酔っていたようでした。それで、私は「火事だ!火事だ!」と大声で叫びました。すると、その男は、近くの家から人が出てくるを避けるように逃げて行きました。これは、争いが起こらないうちに察して回避できる勘働きや態度を身につけて使うという合気道の理合であり、その結果「戦わずして勝つ」という一例です。因みに、この場合、「火事だ!」ではなく、
 「人殺し!」とか「助けて!」などと叫ぶと人は警戒して家の外に出てきませんので、「火事だ!」と叫ぶのが一番効果的です。
 
私は、師範がよく言われていた「合気道は九分が当身であとはおまけです」や「合気道は当身一発でおしまいです」という言葉をヒントに当身の一撃で倒す技を追求し、そのための稽古体系を創り、私が理想とする武術流派を興しました。ただ、相手を倒すことばかり追求していると殺伐とした、きな臭い気分になるのは否めません。なんか変です。というのは、私が創始した流派は合気道をルーツとしています。そして、合気道は他者からの攻撃に対し、対抗して勝とうとする武道ではありません。攻撃に対し、調和することで攻撃を攻撃ではないものに変えてしまいます。そこにおいては、自他が和合して感じられます。 

「戦わずして和す」これはどうしたらできるのか。「心に深い慈悲を抱くことによって、相手の敵愾心が消え、自分を害するものから危害を受けず、お互いに戦わずして和す」という旨を私が興した流派の流儀に盛り込み、さらにその修練法としての「慈悲の瞑想」も取り入れました。慈悲の瞑想とは、「私が幸せでありますように」とか「生きとし生けるものが幸せでありますように」といった自分と他者の幸せを願う言葉を念じたり唱えたりしながら、慈しみのエネルギーを自分に、そして外へと向けることです。これを世界的な観点で見ると世界平和に繋がるものではないでしょうか。自分を思いやり、他人も思いやる。現代人が忘れがちな他者への慈しみや思いやり。穏やかに、そし
て前を向いて生きよう。そのための第一歩として、心を育てよう。合気道の教えを心に、私は世界平和を望んでやみません。

一人の若者がカツアゲされそうになって暴力に遭い、その悔しさがきっかけとなって合気道に巡り合い、それにのめり込み、そして自分が理想とする武術の流派を興し、やがて慈悲に目覚め、世界平和を志向するようになったというのが、このお話の顛末です。そして、世界は紛れもなく平和を望んでいます。そのことに少しでも貢献できれば、こんな嬉しいことはありません。

       生きとし生けるものが幸せでありますように

清心不還道では、坐禅、立禅、動禅、武禅の出張個人指導を行っております。但し、武禅(武術)につきましては、ご自宅やお庭、ガレージ、公園、空き地、お近くのスポーツ施設を借りて指導します。(※施設のお手配と利用料のご負担はお願います) また、武禅以外の科目は自宅でも他の場所でも構いませんが、瞑想主体の指導となりますので、瞑想をするのに適した静かな場所が良いです。また、女性の場合は2人以上のお申し込みにてお願いします。

🔶レッスンについては、ご要望があれば、あなた仕様にアレンジすることもできます。その際は、ご遠慮なくお申し出ください。例えば、襲ってきた相手を一撃で倒して、すぐ逃げる方法を教えてください…等々。全てのご要望に沿うことは難しいかもしれませんが、できるだけご満足いただけるよう最善を尽くさせていただきます。

費用については、ブッダの抜苦与楽(人々の苦を取り除いて楽を与える慈悲の働き)という教えに鑑み、生徒は自分が受けた恩恵を他の人たちと分かち合うために、自分の収入と意思に応じて交通費+ご志納(寄付)とさせていただきます。ご志納(寄付)は、その額の多少に関わらず、他者を助けたいという願いによって行われるべきです。

🔶出張範囲:基本的に近畿圏内(左記以外応相談)

🔶僻地で宿泊が必要な場合は別途宿泊費要

武術稽古の服装について

トレーナーや体操着等、運動しやすい服装で大丈夫です。

レッスン曜日時間について

月曜日〜日曜日

10:00 〜 20:00

上記以外応相談

出張個人指導のご予約は下記の予約フォームにてお願いします。予約は3ヶ月前から予約可能です。予約は基本的に一週間前までにお願いします。

※レッスン予定日に都合が悪くなった場合は3日前までに連絡して下さい。

やむ終えず急病などの場合は当日でもキャンセル料金はかかりませんが、稽古1時間前等既に出発している場合は交通費のみ頂きます。

インストラクターの紹介

相川 行央(アイカワ ユキオ)
小・中学のいじめ、家庭内暴力、モラハラに立ち向かう為、14歳で柔道を始める。その後空手、合気道、剣道、銃剣道、自衛隊格闘術、相撲、古流柔術、中国武術、現代柔術などを修行して武道武術歴は53年。瞑想歴45年。清心不還道宗家。令和合気の会会長。京都市在住。

お知らせ:事情により、コロナ禍が収束するまで、出張個人指導はお休みさせていただきます。その代わりに、コロナ禍が収束するまでの期間限定で、清心不還道に関する質問や相談を無料にてお受けします。質問や相談を希望される方は、予約フォームに「清心不還道相談係」に明記して送信してください。。その際、名前(フリガナ)、年齢、性別、職業をご記入ください。。

●退会・休会について

違約金も休会費も一切かかりません。

出張個人指導のご予約はこちらから(予約フォーム):

🔷「メモ欄」には、次の事項をご記入お願いします。年齢、性別、郵便番号、都道府県、住所、職業、格闘技・武道武術の経験、レッスン希望日時、レッスン場所(受講者手配:自宅又は会場名・住所)、受講者が複数の場合はその人数。

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参考文献:

「空手と太極拳でマインドフルネス」湯川進太郎 著、BABジャパン

「生きる極意」野中日文 著、潮文社

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